古文書解読検定

合格者の声

一級合格者の方々に寄稿していただいた「合格体験記」・「古文書学習法」・「受検者へのエール」などを掲載しています。

 

千字の文もまず「一字」から東京都 西 光三
ミミズがはったような字…

こういう表現で揶揄されることもあるように、古文書は、読みにくい文字の代表格という厄介なレッテルを貼られています。

こんな古文書に私が向き合うようになったきっかけは、学生時代、正確には大学院で、自分が専門として選んだ歴史学を深めていく中で、真剣に取り組む必要性を感じてからです。

それから約三十年、恥ずかしながら読めない文字だらけ。しかも自身の解読力の目安となる免許や資格等もないため、ただ日々読めぬ文字を睨みつけては「自分もまだまだ…」と、これまで培ったものを評価できずに過ごしていました。

そんな折に目にしたのが「古文書解読検定」の文字。客観的に評価してもらえる機会になる!と早速チャレンジ。辞書類も使わずに初見の古文書に挑む準一級・一級もなんとか合格することができ、これまで古文書に向き合ってきた時間が無駄ではなかったと安堵しております。まだ古文書と関わっていて良いというお墨付きを貰えたかな(笑)。

私の解読力向上術は、読めない文字と出会った時に「ハッ」とすること、自身の勉強不足に気づかされた悔しい気持ちを文字と共に忘れないことです。こうして一字、一字と読める文字を増やしていけば、文書の概要を捉えやすくなります。そうして古文書に込められた当時の人々の思いに触れることができたときの充実感は、他には代えがたいものです。ぜひチャレンジし続けてください!

 

道場剣法から他流試合へ群馬県 巻島 隆
二度目のチャレンジで合格しました。初回はあと一歩及ばず、今回はギリギリ受かった次第です。そんな私の古文書学習の方法ですが、毎日か、ほぼ毎日、古文書に触れることと、古文書サークルに通う(モチベーションを高めます。サークルがない場合は自身で結成する)ことは当たり前ですが、次の三点を心がけています。

まず強く意識して苦手字を克服すること。私は、読めない字にぶつかる度に(前に見た字なんだけど…)と自身の記憶力の悪さを呪ったものです。その字は弱点。強く自覚して、くずしの形をインプットします。それでも忘れてしまいますが…。何度も何度も同じ字を辞書で引けばいいのだと割り切っています。

解読力に伸び悩んだ時期もあります(今も)。壁を突破するには、いろいろな人の手に成る文書を読むことだと思います。これが二つ目。特定の文書群だけを読んでいると、書き手が限られ、似た傾向のくずし字ばかりを読むことになります。つまり〝道場剣法〟です。他家の文書を目にした時(うっ、読めない!)(読みづらいなぁ)となり、自信喪失します。しかし、めげずにいろいろな文書に触れて〝他流試合〟を重ねること。辞書なしで初めて目にする文書の解読を求められる準一級、一級試験の対策も兼ねることになります。

最後はくずし字(御家流)を書けるようになること。私は大正時代に刊行された手紙の書き方を見ながら、筆ペンで不要紙に臨書しています。お勧めです。

 

古文書学習と私埼玉県 星野とよ子
今年還暦です。古文書学習歴は長く、三十年前にNHK学園の古文書解読の通信教育を始めました。が、準一級は一度で合格したとはいえ、一級は三度目にギリギリ合格。それで合格体験談を書くのは内心忸怩たるものがあります。

元々大学で東洋史学を専攻して白文(漢字だけが羅列された漢文)に返り点を付ける訓練はしていたのですが、日本独特の擬漢文調に慣れず、初めは戸惑いました。が、二重否定(~せずんば非ざるなりとか)のような複雑な構文は無いので安心しました。私の曽祖父は角田恵重といって群馬で郷土史をしていましたが、「天保生まれの祖父と普通に会話していた」と言っていました。現在とそう変わらない話し方をしていた人がちょっとかしこまって書いた文章、現代人にも必ず意味が通じる、通じないのは解読が間違っている、という信念で学習を続けています。

日本史は一般教養程度にしか知識がないので、江戸時代をテーマにした歴史書(史料の引用が多いもの)を読むように努めています。解読文で言い回しに慣れることも肝要です。頭でっかちになりすぎず、虚心坦懐に字そのものと向き合うことと平行しつつ。

あと、十年程前、漢検一級を取得しました。漢検の学習で、異体字、変体仮名、旧字体を学んだのが古文書学習にも役立っています。青空文庫等の電子書籍の、歴史的仮名遣い、旧字体の小説も楽しく読めるようになりました。

三十年前に比べて、古文書学習の環境は劇的によくなっています。インターネットで気軽にデジタル化した古文書に触れられるし、ネットオークション等で生の古文書も手に入ります。

今後も精進し続けたいと存じます。

 

模写を欠かさず続ける千葉県 勝野 繁蔵
私は、二〇一六年七月から始まった第一回から受験をスタートしましたが、二級と一級に一度失敗しましたので、七回目でやっと合格いたしました。それもすれすれの点数です。

古文書を始めたきっかけは、博物館の展示物が全く読めなかったことです。その後「芭蕉」に興味を持ち、自筆の懐紙や短冊が読めればどんなに楽しいだろうと思い、勉強を始めました。古文書の入門書から入り、自治体などで開催される「古文書講座」や、地域の「古文書同好会」にも積極的に参加し、コツコツと勉強しているうちに、少しずつ読めるようになると、ますます興味が涌いて来ます。日常の勉強では、くずし字辞典の例文や、百人一首の影印本などの文字を、筆ペンで模写しておりました。一日三十分程度ですが、欠かさず続けることを心がけておりました。何事でもそうだと思いますが、急に上達することはありません。少しずつ、一歩一歩、毎日学ぶことが結局大切だと実感しております。

英検や漢検があるのに、何故古文書検定が無いのだろうと常々感じておりましたので、この検定試験が始まった時には欣喜雀躍し、迷うことなくエントリーしての現在です。勉強を続けることのモチベーションとして、検定試験での合格を目指すことが最も効果があると考えておりますので、更なる上の段位の開設を熱望しております。

 

ウイズ古文書愛知県 石川 勝行
還暦を過ぎての手習いでしたから、一級合格までには結果的に十数年の月日を要しました。

それも初回は不合格の憂き目に合い、二度目の挑戦でやっとの合格でしたので大きめの封筒を手にしたときは、天にも昇るような心地がしました。もとより素養があるわけでもなく、今思えば本当に幸運だったとしか言いようがありません。
ですから問われても特段申し上げるほどの対策などありませんが、強いてとおっしゃるでしたら過去に出題された問題を 級の如何にかかわらず、紙と鉛筆を駆使してただひたすらに筆写をしていたことぐらいでしょうか。最近は対策本として 「検定過去問集」が出版されていますので、参考になさるとよろしいかと思いますし、この故に続編の上梓が待たれます。

おかげさまで現在は、地域の古文書解読ボランティアの協力員として活動していますので、コロナ禍にあっても閑居して 云々ということもありません。これからも後期高齢者の今を生きる支えとして、古文書と共にありたいと思っています。

あえて「拙速は巧遅に如かず」とでもうしておきましょうか、合格までの長い道のりは私にはかえってよかったのかも知れません。

あきらめず、愚直にコツコツと継続することが、一級合格の「コツ」だと思えるからです。

 

更なる向上をめざして香川県 川西 靖彦
私が古文書勉強を始めるきっかけは、大学入学のため上京の際、R君から餞別で貰った「生駒記」写本のコピーに始る。退職後、その写本を暇に任せ読み進めると、仮名交じりのためか割と読め、また読めると楽しくなり、そこから解読本購入、通信教育、文書館等講座への参加等々、古文書勉強にのめり込みました。しかし勉強した割にはなかなか上達しませんでした。

丁度勉強を始めて七年位経った頃、自分に適した勉強方法を見つけるため、これ迄得た知識を基に、「①目標の設定と自分の実力を知る②解読の際読みながら書く③得意分野を持つ④筆使い・筆順・意味を取る⑤字典の用例を覚える⑤夜寝る前に短文を必ず読む」事を考え今も実行しています。

結局、一足飛の上達方法はありませが、自分に合った方法の発見、努力、継続と忍耐だと思います。

古文書が読めて来ると自分の解読力が気になりますが、それを今迄知る方法がありませんでした。そんな時、出会ったのが古文書解読検定でした。私は受験し何とか一級に合格しました。それが自信となり、現在市の歴史資料館のボランティアとして資料解読の勉強に取組んでいます。皆さんも早く自分に合う方法を見つけ頑張って下さい。私も更なる向上を目指します。

 

私の古文書学習法福岡県 舌間 輝吉
6年程前、佐賀県立図書館の古文書講座で、文字通り「いろは」の「い」の崩し字から教えていただきました。その講座は、初級から応用・実践と充実したカリキュラムで、私は初級・中級を受講すると同時に館内にある「複製本の部屋」で、面白そうなタイトルの文書を引っ張り出しては読んでいました。翻刻文も無く、最初は全く読めないものばかりでしたが、段々と読める様になって、時には数十丁読むこともありました。

そんな中、講師の方から、「古文書解読検定」が始まるらしいと紹介されました。翻刻文を使わず複製本を読んでいく私の学習法は、この検定に合っていると思い受検しました。結果は幸運にも第1回から受検し、最短で一級に合格し、自分のレベルを確認できました。

その後は各地の「古文書を読む会」に参加しています。内容は柳川では藩士の日記、飯塚では長崎街道飯塚宿の大量の証文類、福岡では家老の日記、佐賀県多久では佐賀藩多久領の役所日記と内容はそれぞれですが、解読の基礎さえ身につけていれば難しくありません。そして、恥をかくことを恐れず、なるべく予習はせず、古文書コピーには書き込みをせず、常に初見のつもりで読んでいます。

そのような私に今年古文書講座講師の依頼がありました。歴史を本格的に勉強した経験がないため躊躇しましたが、依頼の内容は「古文書の小学校」をやってほしいとのこと。古文書を勉強する目的は人それぞれですが、古文書解読の基礎を身に付けた人をふやしたいとの趣旨に賛同し、お引き受けしました。次は私の講座の受講者の中から「古文書解読検定」を受検する方が出てくるでしょう。